なぜ自分はパワハラ・セクハラを受けたのだろう?
という疑問から、私のハラスメント問題への関心が始まりました。
法律や裁判例などを読み、ハラスメント関連の本を読み、男女の違いに関する本や、恋愛に関する本、生物学や進化倫理学、社会学に関する本を読んできました。
そして、問題は複雑だということと、一つだけは確かに言えることがある、ということが分かりました。
それは、
ハラスメント問題の解決には、トップの覚悟が欠かせない
ということです。
人間は繁殖成功のために利己的にふるまう?

職場にいるのは基本的に、大人のはずです。
しかし、ささいなことから暴力まで、ハラスメントは絶えません。
つまり、少なくとも、加害者が冷静に判断できなくなる状況があるということです。
ダーウィンは『種の起原』で、「自然は飛躍しない」と述べました。
私はこれを読んで「なるほど人間も、突然賢くなるわけはないよな」と思いました。
大人になったからといって、嫌がらせを辞めたり、単に「相手の気持ちを考えて」なんて言っても響くわけがないんですよね。
むしろ、学校より職場の方が年齢に幅があり、上下関係もあるのでやっかいです。
本音がいえる場面なんて、ごくごく限られています。
ドーキンスは『利己的な遺伝子』で、「生命の目的は『生存の機会』の最大化だ」と述べました。
私たち人間が存在する第一の目的は、繁殖成功だということです。
なので、「自分のため」に生きることは、当然のことであり、誰も批判できることではありません。
相手の反応をポジティブに捉えるかネガティブに捉えるか、自分の存在が脅かされたときに相手を攻撃するのか。
たとえば、女性はそのつもりがないのに、男性が「オレに気がある」と勘違いするケースがあります。
ポジティブに捉えた方が繁殖成功度が高まるため、勘違いする方に性淘汰が働くと考えられています。
この勘違いは、職場のセクハラ問題のきっかけの一つです。
または、若い女性を年配の女性がいじめるという光景もよく見るものです。
職場という閉ざされた環境の中で、若い女性が好まれる状況(が、実際には現れていなかったとしても)に我慢できないのかもしれません。
この嫌悪感が、職場のパワハラ問題のきっかけとなります。
進化心理学の本を読んでいるとよく、「人間の脳は1万年変わっていない」と出てきます。
職場では一般的に、生命の危機を感じる必要はありませんし、事実上一度には1人しか配偶者を作れないのですから、女性の反応をポジティブに捉えてセクハラをする必要はないわけです。
また、仮に、若い女性がちやほやされている状況があるからといって、自分のお給料が下がるわけではないのですから、いじめる必要もないわけです。
でも、冷静な判断ができずセクハラやパワハラをしてしまう人が、たくさんいるのです。
自然は飛躍しないし、人間の脳は1万年変わらないし、生命は利己的にふるまうものだからです。
人間は協力もするし対立もする

職場のハラスメントは、上下関係があるところに起こることが多いです。
では、あるべきリーダー像は、部下1人ひとりの性質を完璧に理解して、個別に対応することが正解なのでしょうか。
私は、リーダーはそうするように努力するべきだとは思いますが、それでハラスメントがなくなるとは思いません。
仕事はチームで行うもので、リーダーが部下に対して個別に対応したとしても、諍いはなくならないと思うからです。
また、職場にはよく、派閥もあります。
社長派なのか副社長派なのか、二代目派なのか専務派なのか。
一律ではなく状況に応じて変わるかもしれません。
人間は、協力もするし対立もする生き物です。
その理由の一つは、人間社会が「匿名社会」だからだそうです。
相手のことを名前も年齢も、何も知らなくても同じ社会を作っていけます。
これは人間(とアリ)のみに見られる特徴だそうです。
たしかに、誰だか知らない人と同じカフェで休憩したり、同じ電車で移動できる生き物は、とても変なのでしょう。
職場でも、相手のことをほとんど知らなくても、一緒に仕事をすることができます。
部下の名前を覚えていない上司も、世の中にはたくさんいるのではないでしょうか。
隣に座っている人が何の仕事をしているか知らなくても、業務は回っていきます。
このような匿名社会では、ささいな違いがアイデンティティの形成に重要な意味を持ちます。
大量に人が集まっている中で、仲間かそうでないかを瞬時に見分ける必要があるからです。
いでたちや服装、髪型、表情は、ささいな違いの分かりやすい例だと思います。
大衆の中でのささやかな違いを、自分のアイデンティティを表すものとして誇りに思い、同じ集団の中で協力するきかっけとし、一方では、異なる集団と対立するきっかけとします。
また、ささいな違いを瞬時に見分ける能力は、偏見を生む可能性もあります。
『無意識のバイアス』では、白人がいかに瞬時に黒人を悪人だと判断するかが述べられています。
私も、無意識のバイアスを測るIATテストを受けましたが、確かに偏見を持っていました。
何かに対して偏見を持っていない人間はいないと思います。
それは、少なくとも「自分たちの社会を守るため」なのだと思います。
偏見は無くすことを目指すのではなく、自分がどんな偏見を持っているかを知り、どのようにコントロールできるかを身につけるよう努力するものなのだと思います。
「ハラスメントをなくそう」という目標

法律では、会社に対して、職場でハラスメントの被害が起きないよう必要な措置を講じることが義務づけられています。
つまり、会社が講じる措置の目的は、ハラスメントの被害が起きないようにすることです。
はたして、そんなことは可能なのでしょうか。
男性社会では、命令に従わなければ「男らしくない」と評価されます。
女性社会では、若い女性が年配の女性に歯向かう(ように見える)ことがあるかもしれません。その場合、職場の地位を利用していじめられるかもしれません。
男性は女性の表情をポジティブに捉え、また、女性も上司を最初は尊敬していたというパターンもあると思います。尊敬と恋愛の感情は似たものです。
しかし、性被害を受けた者は、はっきりと否定できないということが、裁判例などで分かってきています。「同意の上」という説明は、通用しないでしょう。
何を思ってもその人の自由ですが、みんながみんな行動を止められるわけではないから、ハラスメント問題が起きるのだと思います。
では、ハラスメント問題が起きないようにするために、教育をすればよいのでしょうか。
なんと悲しいことに、教育をするとそれが免罪符となり、むしろハラスメントを増長するという研究結果もあります。
これは、「道徳の貯金」理論で説明できると思います。
今日は真面目にハラスメント研修を受けたから、少しくらいハラスメントをしても冗談として受け入れられるだろう
と、考えることです。
運動を頑張ったから、ご褒美に甘いものを食べよう
と考えることと同じですね。
では、ハラスメント問題が起きないようにするために、従業員にアンケート調査をすればよいでしょうか。
これについては、教育とは異なり、「反対の効果をもたらす」と述べられた文献はまだ見かけていません。
職場の全体的な傾向をつかむには、一定の効果があるものと思います。
ただ、全員が本音を書けるわけではないでしょう。
また、教育もアンケート調査も、会社に余力があればこそ、できることだと思います。
もともと関心がある会社は実施を検討するでしょうし、ハラスメント体質のある会社は、見向きもしないでしょう。
だから、社労士という専門家として、「世の中からハラスメント問題をなくす」という目標を掲げるのは、現実的ではないのではないかと思うようになりました。
この想いは理想として持っておく一方で、現実的な解決策も持つ必要があると考えました。
トップが覚悟すれば適切な対応ができる

会社に義務づけられているハラスメント防止措置は、主に以下の3つです(中小企業では、パワハラに関しては2022年4月1日より義務)。
- ハラスメントを行ってはならないという会社の方針を明らかにして、それを周知・啓発すること
- ハラスメントに関する相談や苦情に適切に対応するための体制を整えること
- ハラスメント問題が発生したら、速やかに適切に対応すること
つまり、方針を就業規則に記載して周知・啓発すること、相談窓口を設置して相談があれば適切に対応することが、最低限必要です。
ここで一番大切かつ、どんな規模の会社であっても必須なのは、「適切に対応すること」だと思います。
つまり、会社で調査してハラスメントを認定した場合は、加害者がどんなに優秀であっても、加害者を処分するということを、トップが覚悟しておくことが必須だということです。
ハラスメントの多くは、上下関係のもとに起こっており、多くは上の立場の者が加害者です。
ときには、役員が加害者になることもあります。
社長さんから見ると、被害者よりも加害者の方が付き合いが長かったり、加害者の方が「結果」を出していて優秀だと評価されていたりすることも多いと思います。
だから、どちらかを異動させたり辞めさせたりしなければいけないとき、被害者を対象にしようという気持ちがわくかもしれません。
でも、周囲は、社長さんがどのように判断するかをよく見ています。
社長さんは、組織全体のことを考えなければなりません。
仮に会社から、ある部署から、頼っていた人が抜けたとして、それをどうにかしなければならないのは社長さんの仕事です。
退職者を引き止めることでさえ実質できないのに、周囲への影響を考えると、ハラスメントの加害者だけを特別扱いするべきではありません。
異動させるのは、原則、ハラスメントの加害者です。
また、社内で正式な懲戒処分を行うことも検討しなければならないケースも生じるかもしれません。
そういったトラブルに対応するために整備しておくのが就業規則であり、とくに懲戒は、就業規則に記載しておかなければできない対応です。
社長さんは、さまざまな決断をしてきていることと思いますが、とくに相手が人であるときには決断が難しいと思います。
ただ、いくら優秀であっても加害者を処分することを覚悟しておくことが、企業規模にかかわらず、ハラスメント問題の解決に必須なのです。
- アラン・S・ミラー他『進化心理学から考えるホモサピエンス』(2019) パンローリング株式会社
- イリス・ボネット『WORK DESIGN 行動経済学でジェンダー格差を克服する』(2018)NTT出版
- 越智啓太『恋愛の科学 出会いと別れをめぐる心理学』(2015)実務教育出版
- ジェニファー・エバーハート『無意識のバイアス 人はなぜ人種差別をするのか』(2021)明石書店
- チャールズ・ダーウィン『種の起原』(1990) 岩波文庫
- マーク・W・モフェット『人はなぜ憎しみあうのか』(2020)早川書房
- 牟田和恵『部長、その恋愛はセクハラです!』(2013)集英社新書
- 山下淳一郎『ドラッカーが教える最強の後継者の育て方』(2020)同友館
- 尹雄大『さよなら、男社会』(2020)亜紀書房
- リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子 40周年記念版』(2018) 紀伊國屋書店
- ロバート・トリヴァース『生物の社会進化』(1991)産業図書