【実録】パワハラとセクハラから逃げて理論武装し、自分のことは自分で守ると決意した話

逃げるが勝ち
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2015年、心底自分に嫌気がさした

他人は自分を救ってくれない

2015年は、なかなかにハードな年でした・・・。

その2〜3年ほど前に、自覚はなかったものの病気と診断されてしまい、治療を受けたあと、社会復帰した年でした。

社会復帰するに際しては、お世話になっていた方にお願いして、仕事を用意していただきました。

その職場では、もう一人、過去にお世話になった方が上司として働いていました。

働き始めた直後、その上司から言われた言葉をよく覚えています。

「そんなこともできないの?」

かつて、いろんな議論をして、自分のことを評価してくれていると思っていたこともあり、また、病気になってしまったことも知っている方だったので、余計にショックでした。

ほとんど社会経験がないまま病気と診断されてしまい、治療のために地元に帰るしかなく、自分が思い描いていたキャリアや生活を諦めざるを得なかった辛さは、他人の人生には関係ないのだなあ、と痛感しました。

今思えば、これは当たり前のことです。みんな必死に生きていて、同じ職場の人とはいえ、他人を思いやった行動ができる人は、はちゃめちゃに貴重ですから。

当時は、自己肯定感ドン底で何も言い返せずにいると、それから上司の言動はエスカレートしていきました

治療そのものより人間関係を構築することの方が100倍難しい

2015年に痛感したことは、もう一つありました。

病気の治療も、まあしんどかったのですが、治療が一段落して人々との関わりの中に戻ってくると、人間関係を構築する方がよっぽど難しいことを知ったのです。

病気の治療は、家族のサポートはあれど、自分一人が頑張ればよいですが、人間関係は、相手がいますし、大人になってからどう人と関わっていけばいいかなんて、誰も教えてくれません

それまでの人生、幸いに、そして性格柄、あまり人間関係に悩まされることがなかったので、家族や、友人、恋人、職場の人とうまく関わっていけないことに、どう対処すればよいのか分かりませんでした。

うまくいかなかった要因の一つが、自己肯定感の低さ、「私なんか」ってやつです。

「私なんかに仕事を頼んでくれているし頑張ろう」

「私なんかを誘ってくれているし行こう」

言いたいことが言えない、そんな自己肯定感が低い人間を見つけることが、うまい人がいます。

チクチクと嫌味を言ってきたり、弱さにつけ込んできたり。

でも、一番嫌気がさしたのは、私自身が、自分よりも弱い立場の人を思いやれず、声を荒げたことでした。

私って、こんなにイヤな人間だったっけ・・・

このままの自分でいるのはごめんだ、と思った瞬間でした。

あれってパワハラ・セクハラだったんだという気づき

職場の「ヒト」を専門とする社労士に出会った

2016年にかけて、いろんな人を傷つけたり傷つけられながらも、幸いだったのは、社会保険労務士という仕事を知ったことでした。

人間関係がうまくいっていないと、自分の能力も発揮しきれない・・・

こんな課題に直面していたからこそ、職場の「ヒト」が専門である社労士に興味を持ったのだと思います。

社労士の仕事には、社会保険・労働保険や年金、給与計算、採用から退職、就業規則、労使間交渉など、さまざまなテーマがあります。

そんな中で興味を持ったテーマの一つが、ハラスメントでした。

ハラスメントの法令や裁判例を学んでいくと、私が言い返せずエスカレートしていった上司から受けた言動が、パワハラやセクハラの定義に該当することに気がつきました。

  • 「オレが独身だったらなあ〜」と上司に言われる (えっと・・・だからなに!?)
  • 後輩を叱るメールのccに大人数の同僚が追加される (ccに入れたり大勢の前で叱ることはパワハラに該当します)
  • 「今さら新しい仕事なんてできるワケないじゃん」と上司に言われる (前の職場は全然違う業界でした)
  • 掌返しで半年間ほど無視される (悪口を言われるより無視される方が精神への負荷が大きいそうです)
  • 周囲には、仲が良いように見えていたため、セカンドハラスメントを受ける (セカンドハラスメントなんていう現象を知りませんでした)

専門知識が自分を肯定してくれた

もちろん、ある言動がパワハラやセクハラの定義に該当するからといって、直ちに不法行為となり「慰謝料を払え」と判断されるわけではありませんが、

「抗議してもいい言動だったんだ」

「でも毅然と抗議できる人は被害者のごく一部なんだ」

ということが分かり、

「逃げてよかったんだ」

と自分を肯定できたことが、自分が救われた大きな出来事でした。

そして、嫌なことがたくさんあったからこそ、本当に自分を大切にしてくれる家族や友人のありがたさも分かり、彼らの支えもあって、仕事や私生活を立て直すことができました。

知識を武器にしよう!

ハラスメントと無縁な世界へ

ハラスメントについての学びから、嫌な職場環境から逃げた自分を肯定できたことに加えて、社労士という仕事を始めてよかったのは、今後はハラスメントを受けないだろうという安心感を得たことです。

もちろん、「ヒト」の専門家である社労士にもいろんな人がいますし、どんな環境で働いても、傷つけようとしてくる人は必ずいます。

今でも、人のためのふりしたテイカーに出会うと、怖くてすぐに逃げてしまいますしね笑。

ただ、本来はそんな人じゃなくても、気分の変化や環境の変化で、感情がたかぶったり、嫌味を言ってしまったりする日もあります。

知識や理論を身につけたおかげで、どんなことがハラスメントに該当し得るかとか、言い返せない自分を責めなくてもいいとか、仕事を手放してでも逃げるべき環境かどうかなどが、冷静に客観的に考えられるようになりました。

まずは知るところから始めよう

自分だけの世界に閉じこもっていると、被害を受けた自分がかわいそうとか、傷つけるつもりじゃなかったとか、冤罪だとか、客観視できる指標がなく、誰も救われません。

他人にどれだけ文句を言っても、本当の意味では、誰も自分を助けてくれません。

自分を守って、自分を幸せにできるのは、自分だけです。

裁判例を見てみると、被害者がどんな感情に陥りやすいかや、加害者が合意だと勘違いした経緯など、セクハラ・パワハラ問題において共通して言えることが分かってきます。

また、どうして職場でハラスメント問題が起きるのかを、私たち人間の本能や理性という観点から説明できることも分かってきます。

西田幾多郎さんは、日本初の哲学書である『善の研究』で、こんな有名な言葉を記しています。

「知は愛、愛は知である。」

西田幾多郎『善の研究』、岩波書店、1950年

知ることは愛すること、愛することは知ることであるということです。

知らなければ何かを愛することはできないし、愛があれば知ろうとする行動につながります。

私はこの言葉を、「知る」という行動から初めてみても、それが愛につながる可能性があるのだと解釈しています。

このブログの情報が、あなたが第一歩を踏み出すきっかけになれば幸いです。

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