30歳手前で社会保険労務士事務所に勤めはじめて、結果的に開業を決断するにまで至ったわけですから、自分の中で「中小企業の経営者や従業員の方々と一緒に働く」ことに、とてもしっくりくるものがあったのだと思います。
その理由は簡単で、子どものころから中小企業の経営者や従業員の方々の働く姿を目にしてきたので、親近感がわくからだと思っています。
今後、社労士として何をしていくかを見失わないためにも、原体験をまとめておくことにします。
常に働く大人の様子を見ていた

私が育った家は、1階が店舗になっている店舗兼住宅の建物でした。
3歳頃までは、住居と同じフロアに従業員の方々の休憩室があり、休憩中の従業員の方と顔を合わせたことも、おぼろげながら覚えています。
また、繁忙期には、母が従業員の方々の食事を作っていることもありました。
学校に通うようになると、1階で朝早くから働いている方々に「いってきます!」といってから家を出ることが日課になりました。
友人と話していてとても驚いたのは、「親がどんな仕事をしているか知らない」という発言でした。
私にとっては、親がなんの仕事をして、誰からお金をいただいているのか、知っていることの方が普通だったのです。
従業員の皆さんには、とてもかわいがっていただきました。
育ててくれた人がたくさんいたという感覚

祖父や両親から言い聞かされていたのは、
店舗は遊び場じゃない
ことと、
商品はお客さまのものであり、自分たちのものではない
ことです。
食品を扱っており衛生面からもなおさらだったのでしょうが、店舗の空間に許可なく入ったり、そこで遊んだりすることはありませんでした。
また、自分たち家族も店舗の商品を買っていましたし、売れ残ったからといってそれを貰ったりすることもありませんでした。
店舗に入ることは滅多になく、商品は自分たちのものでなく会社のものであるという明確な線引きがありました。
ですが、店舗と住居が同じ建物なわけですから、毎日、お客さまの顔を目にします。
商品を買ってくれる方がいるから自分たち家族が暮らしていけるんだな
という認識が、気がつくと自分の中にありました。
祖父母や両親だけでなく、従業員の方々やお店のお客さまなど、たくさんの方々が子どもの自分を育ててくれたという感覚を持つようになりました。
基本になった「経営者観」

お店を始めた祖父は、私が物心ついた時にはすでに現場から退いていましたが、良くも悪くも受けた影響はいくつかあります。
まず、従業員の方々へのスタンスです。
1970年にお店を始め、翌年株式会社にしてからすぐに、従業員の方々を社会保険に加入させました。
現代では当然のことですが、当時は、食品業界の職人の長期的な生活を担保する会社は、非常にまれだったと思います。
お給料をどれくらい支払っていたのかは分からないのでなんとも言えない部分もありますが、非常に印象に残っているエピソードです。
一方で、多いときには130人くらいの方を雇っていた祖父は、人が辞めるときには「去る追わず」と言っていたそうです。
自分が興した会社のために働いてくれた従業員でも、人生まで干渉できるものではありません。
そして、品のよいものを身に着けることにも拘っている人でした。
職人をしていた祖父ですが、職業人生の後半は、人前に出る仕事が多くなっていたようです。
店舗に置く什器なども非常に拘っていたようですが、会社の代表として身に着けるものにも気をつかっていたようです。
そして父からは、仕事へのスタンスについて影響を受けたと思います。
父は決して器用なタイプではありませんが、毎日毎日マジメに働く人です。
祖父が現場に立たなくなってからは、店舗の代表は父が担っていましたが、朝の準備から終業後の片付けまで、もちろん父も行います。
代表者はあまり現場に来てほしくないという考え方もあるかもしれませんが、私は、(規模にもよりますが)中小企業の代表者は雑用もするべき、という考え方を持っています。これは、父の影響だと思います。
開業後は、自分がどのような仕事をして何で生活していくかに、やはり原体験が影響するだろうと思いましたので、記しておきました。
お読みいただきありがとうございました!