【『種の起源』と『利己的な遺伝子』から学ぶ】人間の特性とハラスメント

人間の特性とハラスメント

人間の性は、基本的には男と女に分かれています。

それぞれの特性が生まれつきのものなのか、はたまた学習によるものなのか、議論になることがあります。

パワハラ・セクハラ問題や男女の賃金格差について調べていると、「人間の脳は1万年変わっていない」とか「男が互いに競争しあうのは本能である」という情報を目にします。

一方で、「男の子は文学、女の子は数学が苦手だと決めつけるのはおかしい」とか「女性は強い言葉で抵抗したり、失敗を恐れずに挑戦することがよしとされる機会が少ない」といった意見も飛び込んできます。

どちらの意見がどの程度正しいのかは、私にはよくわからないです。

ただ、確実に言えるのは、

男であれ女であれ、攻撃したり傷つけたりしてくる人間がいること

自分の思い込みから加害者になってしまうことがあること

自分の身を守れるのは誰より自分であること

だと思います。

人間の本能の働きとそれによる攻撃(ハラスメント)の作用について知っていれば、優しい人が「自分が悪かったのだろうか」と悩むことなく、

「あ、この人は本能に支配されているな」

とか、

「あ、この人は今、理性に負けているな」

と考えて、防御するなり、仲間を集めるなり、逃げるなり、気にしないという作戦をとることができるのではないかと思います。

あるいは、

「あ、自分は本能に支配されているな」

とか、

「あ、自分は今、理性に負けているな」

と考えて、早めに謝るなり、誰かに相談するなり、自分のコミュニケーションを見直すという作戦をとることができるのではないかと思います。

生存闘争とは何ぞや?

生き残ることがすべて

生存闘争

働いているときも私たち人間は「ヒト」であり、動物であり、生き物であることは大前提です。

生き物は皆、相互に競争して生き残り、自分の遺伝子を次世代に引き継ぐために存在しています。

そして、私たちは、個々にちがった特性を持っています。

私たちが今生き残っているということは、とある生き物の生存のためにある特性が有利だったために、その特性が引き継がれ、今もその特性が私たちに生じているのでしょう。

個々の特性は、何より自分の利益になるものであって、他の生き物のために生じたわけではありません。

自分の生存にとって有利、あるいは利益になるものだったということは、他の生き物にとっては害になる可能性があるということです。

生存目的は「繁殖成功」

男性の勘違い

例えば、男性が「あの女性は自分に気がある」という勘違いが、セクハラ問題を引き起こしてしまうことがあります。

そして、セクハラ問題が明るみに出ると、男性は「合意の上だった」と主張します。

なぜこんなことが起こるのか・・・。

他ならぬ、繁殖成功という生存目的のためです。

女性にはその気がないのに気があるという男性と、女性はその気なのに否定する男性。

どちらが繁殖成功の可能性が高いでしょうか?

・・・

明らかに前者でしょう。

前者は、フラれたり、バカにされたり、セクハラだと言われて嫌われたりするかもしれません。

でも、後者は、ビビって何もしないことで、繁殖成功度を高めるチャンスをみすみす逃すことになります。

こちらの代償の方がはるかに大きいため、男性は「あの女性は自分に気がある」と勘違いする方向に性淘汰が働くのではないかと考えられているのです。

この勘違いは男性の生存にとって有利、あるいは利益になるものですが、女性に害を与える可能性があるということです。

「大人なんだから」では何も解決しない

自分と家族がまずは大事

職場の人間関係

このように、繁殖に成功して生き残ること、つまり、「生存の機会を最大化する」ことが生き物にとっての幸福なのです。

そうすると、まずは自分自身、そして遺伝的に近い子どもや孫、兄弟姉妹への投資を優先することは、当然のことのように思えます。

そして、投資できるエネルギーには限りがありますから、遺伝的に遠縁の者には無関心であったり、嫌ったり攻撃したりすることは、合理的な気がします。

「自分自身を幸せにしなければ、他者の援助はできない」と、よくいいますしね。

職場でもヒトはヒト

働いているときでも私たち人間は「ヒト」であり、動物であり、生き物ですから、「自分の生存機会を最大化する」という本能に動かされています。

だから、「大人なんだから他人のために行動しようね」では、何の役にも立たないことが分かります。

職場であっても、「『自分のため』が最優先」なのは、ごく自然なことなのです。

自分を守るためには、他人を攻撃し、ハラスメントをすることもあるでしょう。

なので、ハラスメントを受けたとしても

「自分が悪かったのだろうか」

とか、

「私の能力が低いからいけないんだ」

と、考える必要はありません

その人は、人間としての理性に負けて、本能に支配されているだけなのです。

利他性は教え込むことができる

では、人間は自分勝手が自然だから仕方ないと、諦めるしかないのでしょうか?

ダーウィンは、「本能はたしかに変異する」と述べています。

そしてドーキンスは、「利他性は教えこむことができる」と述べています。

「自分のため」が最優先だったとしても、人間には理性がありますから、「人のため」を教えこめば、自分勝手の特性は変異するのではないかと思います。

大人になった後でも、自分を見つめ直したり、気づきを得たり、行動を変えたり、人からの指摘を素直に受け入れて改善したりするチャンスは、いくらでもあると思うのです。

まとめ

  • 私たち人間が「生存機会の最大化」のために自分勝手に振るまうのは自然なこと。
  • だから、「自分が悪かった」とか「自分の能力が低いせいだ」と自分を責める必要はない。
  • でも人間には理性があるから、「人のため」は教え込むことができる。
参考資料
  • チャールズ・ダーウィン『種の起原』(1990) 岩波文庫
  • リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子 40周年記念版』(2018) 紀伊國屋書店
  • アラン・S・ミラー他『進化心理学から考えるホモサピエンス』(2019) パンローリング株式会社